育つ、芽

ここ数年、世界の中のいろいろな問題について、いろいろなところで目にするようになった。いや、ずっと前からあったけど、私の目が向けられていなかったから気付かなかっただけか。

例えば、その1

去年の春頃、ホワイトバンドプロジェクトを知った。実際にホワイトバンドを購入したのは8月くらいだったかな。一度、そのホワイトバンドを見た知人に「馬鹿らしい」と言われた。びっくり顔の私に、彼女は言った。「そんなものを買うお金がもったいない。そのお金を募金しなさいよ。」と。事実彼女は、コンビニで100円未満のお釣りが出たときにはレジ横の募金箱に入れ、海外旅行から帰ってきたときの外貨もすべて募金箱に、加えて、利子が自動的に募金になる預金をしているのだという。“当たり前のこと”として意識づいている彼女の目には、ちょっとした流行りのファッションのようになったそれが、奇異に見えたのだろう。その頃ちょうど、この団体に対してのよくない噂がたっていたことも手伝ったのかも知れない。

確かに、彼女の言うことは間違っていないし、彼女のやっていることは素晴らしいこと。こんな人が身近にいたんだ!と感激した。でも、ホワイトバンドにも意味があるのだと、私は思っている。例えば、彼女と私がこの話をしていた横に、そういった活動や募金に全く興味のない人が同席していた。その人は、私たちふたりの話を聞いて、少なからず興味を持ったようだ。「ちょっとしたことで募金ってできるんだね」とその人が口にしたとき、その人の胸の中に小さな芽が生えた瞬間だったと思う。私がホワイトバンドをしていなかったら、会話にすらなっていなかったはずだもの、ほら、ちゃんと意味があった。

ファッションでも流行りでもなんでもいい、それがちょっとしたきっかけになって、みんなの胸の中にその芽が生えれば万々歳。意識を持っているのといないのじゃ、随分違う。私も、彼女に気付かせてもらったことをいくつか実践するようになった。ホワイトバンドは、今もつけている。



例えば、その2

ap bankの活動を知ったのはBANK BANDのCDが出るちょっと前だから2004年の晩夏、秋くらい。Mr.Chldren好きの友人に「こんなCDが出るよ」と教えてもらった。環境について考えることなんて、それまでほとんどなかった。大気汚染も温暖化も森林の減少も他人事だった。教えてもらったときも正直、CDには興味があったけど、ap bankの活動内容を見ても、あんまりぴんとこなかった。自然豊かな田舎で育ち、“あることが当然”という意識があったからかも知れない。世界で苦しんでいる子どもたちのことの方がよっぽど気になっていたというのも事実。ただ、それからap bankについての記事やニュースを気に留めて見るようにはなった。だんだん、ちょっとずつ、何にも考えていなかった自分が、恥ずかしくなった。それと同時に、何にもできない自分に憤りすら感じるようになった。

2005年夏、ap bank fes。いわずもがな、とてもいいイベントだった。純粋に多くのアーティストのパフォーマンスは楽しかったし、ap bankのコンセプトにも直に触れることができたし、やっぱり桜井さんはかっこよくてすごかった。でも、このイベントに参加して一番よかったな、と思ったのは、その帰り道だった。煙草の吸殻を空き缶に捨てようとした友人に、恋人が「せっかくいいイベントに来たんだから」と灰皿を差し出したのだ。それを見たとき、目からうろこが落ちた。感動した。何にもできないなんて、とんでもない!

ap bankを紹介してくれた友人にこの話をしたときに返ってきた言葉がすべて。だからそのまま引用させていただこう。
> 小さなことも、全部つながってるんだから、
> 自分たちのできること、してかないとって思うよ。
うん、そうだよね。


こういう芽が自分の中で育ってきたことをとても嬉しく思う今日この頃。誰かは偽善だと思うかも知れない。他の誰かは自己満足にしかならないと言うかもしれない。でも、そう思われたとしても構わないと、今の私なら思うことができる。自分のできることをしていこう。


どこかに書き留めておきたかった。このブログにこんな話を書くのはあんまり相応しくない気もするのだけど、自分のブログだし、まぁよしとしよう。