記憶

私が小学校に上がるか上がらないかの頃、ばあちゃんとお兄ちゃんとお姉ちゃんと東京に遊びに行った。2,3日はいたはずだけど、私が覚えている記憶は、ふたつだけ。
NHKにいた、じゃじゃ丸、ぴっころ、ぽろりの等身大人形。本当はぴっころと写真を撮りたかったけど、他の子どもが大勢いて、結局じゃじゃ丸と写真を撮った。
もう一つは、渋谷のスクランブル交差点。それまで体験したことがない人ごみを恐怖に感じながら、離れちゃいけないとばあちゃんの手をしっかりと握り交差点を渡った。と、少し離れて歩いていたお兄ちゃんだけ信号が変わって渡れず、私は、このままお兄ちゃんと会えなかったらどうしようと半泣きになりながら待っていた。ばあちゃんの不安そうな顔と、お兄ちゃんがいる道路の向こう側、109広場の景色は鮮明に覚えている。

最近になってばあちゃんがよく、その時の話をする。少し認知症の病症も出てきた今、私たちが小さかった頃の楽しい思い出がばあちゃんを覆っている。
ばあちゃんの話で、覚えていないはずの記憶が私の頭の中に映像となってあらわれる。

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それまで電車にすら乗ったことのない私は、新幹線の中で嬉しくて嬉しくてはしゃいでいた。騒ぐと叱るお父さんもお母さんもいなくて、大好きなばあちゃんと一緒というのもテンションがあがる要因になったはずだ。車内販売も珍しく、横を通るたびに何か買ってとせがんでいた。
隣の席のおばさんたちがアイスクリームを買ったのを見て、私もアイスが食べたいとおねだり。でもおばさんたちが買ったところで、アイスクリームは丁度売り切れになってしまった。駄々をこねる私を見かねてか「私たちはいらないから」と私たち三人に、おばさんたちがアイスクリームを譲ってくれた。ばあちゃんがお金を払おうとしても「いいからいいから、可愛い子どもたちですね」と微笑んで、受け取ってくれなかった。

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「とっても恥ずかしかったのよ」
けらけらと笑いながら、そう方言で語った。

ばあちゃんは、おそらくこれからいろんなことを忘れてしまう。もしかしたら私のことも忘れてしまう日がくるかも知れない。でも、ばあちゃんの記憶が、私の記憶となって、残っていく、残していく。



あ、もうひとつあった、覚えてること。
東京に行く前、自分の乗る新幹線が緑のラインだと知ってちょっと拗ねた。青いラインの方がカッコイイし、えらいと思ってた。それでも初めての新幹線は嬉しかったな。
実は今もちょっと嬉しい。